チーズ牛丼とヤンキーの養成所と化した日本

 

 

「チーズ牛丼とヤンキーの養成所と化した日本」

 

 

 

 

 

 

チーズ牛丼とヤンキー、二極化する盲目的ガラパゴス教育を

現在も積極的に推進する日本国であるが、
その二つの要素が相反しながらも共存しているのは何故か?

それは日本の社会構造がこの二つが表裏一体になっているからである。

 

 


つまり日本の学校教育ではチーズ牛丼と

ヤンキーの養成こそが目的であり、

それを学ぶことが日本国民としての義務でもあるのだ。

 

 


なぜ日本人はここまでしてチーズ牛丼とヤンキーを学ばなければならないのか?

その理由を説明するには、まずは日本における

ヤンキーという存在の定義から始めなくてはならない。
日本においてのヤンキーとは不良少年を指す言葉だが、実は明確な定義はない。

 

 


その言葉の意味するところも曖昧模糊としており、

例えば「不良」という言葉の語源には諸説あるが、 どれも定説には至っていない。
また、一般的に言われるような暴走族や喧嘩っ早い人

といった意味だけでなく、様々な定義付けが可能だ。

 

 


例えば、学校生活において授業をサボる生徒を指すこともあるし、

あるいは、不良少年少女たちが徒党を組んで悪さをしたり、

集団で騒いだりすること全般を指して使う場合もある。

 

 


また、ヤクザやチンピラ、半グレといった

反社会的勢力に属する人間も広義においてはヤンキーに含まれるし、

彼らに対する差別用語として使われることもままある。

要するに「ヤンキー=不良少年」という概念はあまりあてにならないと言えるだろう。

 

 

 

 

 


さて、お次は日本におけるチーズ牛丼という存在の定義を明確にしていこう。
彼らの大半はチーズ牛丼特盛を温玉付きで注文するらしい。

 

 


これはどういった意味を持つのかと言うと、

彼らは「チー牛(チーズ牛丼の略)」と呼ばれるグループに属していて、
その中でもチーズ牛丼を食べることを許されている者は上位の存在なのだそうだ。

 

 


ちなみに、チー牛とはチーズ牛丼を食べている人間のことで、
彼らが食べ終わるまで他の人間はチーズ牛丼を

食べてはいけないという暗黙のルールがあるらしく、

もしそれを破ればリンチを受けることになるようだ。

 

 


ちなみにチーズ牛丼特盛温玉付きを頼めなかった者は

下位の存在と見なされ、 イジメの対象となる。
つまりチー牛たちは自分よりも下の存在を貶めて

優越感に浸ることで精神の安定を図っているわけだ。

 

 


そして、この事実が日本国をチーズ牛丼と

ヤンキーの養成所たらしめている所以であり、

日本の教育制度の根幹を成す要素である。

 

 


なぜチーズ牛丼とヤンキーなのか? その答えは単純明快だ。
どちらも大衆の欲望を充足させるものであり、

かつ需要と供給が一致したからである。

 

 


まず、チーズ牛丼とヤンキーに共通する点は何かと言えば、

それは「安くて美味い」という点にあるだろう。
チーズ牛丼特盛温玉付きなら1000円以下で食べられる上に、 味にも申し分がない。

 

 

 

 

 


さらに言えば、安いだけではなく栄養価も高いため、

健康志向の日本人にとってこれほど理想的な食事もない。
対して、ヤンキーとは何か? そもそもヤンキーとは何だったのか?

 

 

 

ヤンキーとは主に、恐喝や強盗はもちろん交通法規に従わず、
深夜の騒音などの迷惑行為を日常的に行う人間のことを差す。
反社組織の卵であり、荒んだ地域や、底辺職場に多く生息し、

仲間同士でで群れることを好む。

 

 


例外こそあるが、大半は破滅的かつ

短絡的な思考回路の持ち主で抑制の効かない性格だ。
ドラッグやシンナー、酒に煙草、インスタント食品などが彼らの嗜好品である。

 

 


円形のケーキを3等分に割れない場合もあるので取り扱いには注意が必要だ。
詳細は、「ケーキの切れない非行少年たち」

などのマニュアル本を参考にしてほしい。

 

 


一方、チーズ牛丼は己の意思を持たず、目上の人間に盲目的に従い
無気力、無関心、無個性な若者を差し示すネットスラングだ。

 

 


あえて特徴を挙げるとすれば、根暗で融通の利かない性格に起因する
死んだ魚のような瞳や猫背で不健康な肉体、
血色の悪いむくんだ童顔、優柔不断で挙動不審な言動などの特徴が挙げられるだろう。

 

 


座右の詠は「すいません、チーズ牛丼特盛温玉付きをお願いします。」だ。
このように両者の共通点は数多く存在するが、

最大の相違点は ヤンキーは社会の底辺層に属し、

チーズ牛丼は国民の主食であることだろう。

 

 

 




つまり両者は表裏一体でありながらも相反する存在なのだ。
だからこそ我々は日本国民としてヤンキーやチーズ牛丼を学ぶ必要がある。
なぜなら我々日本人はヤンキーとチーズ牛丼から学ぶべきことが山ほどあり、

それを学ぶことは日本国民としての義務でもあるからだ。

 

 


そしてチーズ牛丼は「安くて美味くて栄養満点」という日本人好みの要素を網羅しており、 日本人の食生活における大きなウエイトを占めている。
そんなチーズ牛丼が衰退することはすなわち日本の食文化の衰退を意味するのだ。

 

 


チーズ牛丼が衰退した時、日本の未来はない。
そこでチーズ牛丼は国の宝として保護する必要がある。
その象徴こそが「チー牛」であり、 彼らはその存在自体が日本の国益となっている。

 

 


もし仮に、この世からチーズ牛丼が完全に消滅したとしても、

それはそれで仕方のないことだ。
しかし、彼らがいなくなれば日本はさらなる発展を遂げることはできないし、

ひいては日本国民の生活が脅かされることになる。

 

 


だから私は断固たる決意で彼らに言いたい。
「お前ら、いい加減にしろよ?」
――と。

 

 

 




【補講】

 

 

 




今回は「チーズ牛丼とヤンキーの養成所と化した日本」と題し、

日本におけるヤンキーとチーズ牛丼について述べた。

日本の教育制度は一見すると自由で平等に見えながら、

実際には、ヤンキーとチーズ牛丼を学ばせるという目的のために運営されている。

 

 


これは、ヤンキーとチーズ牛丼から日本人の本質を学び取ることが、
日本の将来を担う子供たちの健全な育成につながると岸田内閣をはじめ、

それに関連する各省庁の官僚たちが信じているからだろう。

 

 


実際、日本人はチーズ牛丼を食べることで、 

自分たちのルーツを知り、また、これからの世界の行方を知ることができる。

なぜならチーズ牛丼とは「安くて美味くて栄養満点でしかも安い」という、

素晴らしい食材で作られているからだ。

 

 

 

チーズ牛丼は国民の主食であり、なくてはならない存在である。
よって、チーズ牛丼は日本の将来のためにあり続けなければならない。
もし、チーズ牛丼が消滅した場合、日本の文化が衰退し、

日本人が堕落するのは言うまでもない。

 

 


逆に言えば、チーズ牛丼さえ残っていれば、 日本は安泰だということだ。
だが、残念なことにチーズ牛丼は絶滅危惧種に指定され、

ワシントン条約でも保護されている。

 

 

 

このままでは近いうちに日本の食文化が失われてしまう。
そこで我々は、日本政府に以下のことを要望する。

 

 


1:チーズ牛丼を絶滅の危機から救うこと


2:チーズ牛丼を無形文化財に指定すること


3:チーズ牛丼を世界遺産に登録すること


4:チーズ牛丼を国際親善大使に任命すること


5:チーズ牛丼を世界平和の象徴とすること


6:チーズ牛丼のマスコットキャラクターを作ること


7:チーズ牛丼のテーマソングを作る


8:チーズ牛丼を商標登録して独占的に生産・販売できるようにすること


9:チーズ牛丼のパッケージに旭日旗を使うこと


10:チーズ牛丼に関する書籍を出版すること

 

 

 

以上の10項目を実現させるために、政府は早急に手を打つべきだ。
なぜならば、チーズ牛丼が滅びれば、日本が滅ぶのは自明の理であるからだ。

 

 


【以上】

 

 


ちなみに明日は、私のおばあちゃんの法事がある。
なので今晩中になんとかこのエッセイを書き終えようと

必死にキーボードを叩いている。

 

 


さすがにおばあちゃんの法要をすっぽかすわけにはいかないのでね……(;_:)
お坊さんが来るのは午後1時30分らしいので、

あと2時間半で書き上げないと間に合わない。

 

 


今後の未来の平和と安寧に向けて

「チーズ牛丼とヤンキーの養成所と化した日本」

の続編を書いていけたらなと思う。

 

 


締めに、私なりの結論を述べさせていただこう。
ヤンキーとチーズ牛丼を学ぶことによって

日本人の未来と日本人の道徳心や倫理観、
そして日本人の国民性を理解することに繋がるだろう。